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腐敗と再生  身体医文化論 III

 

A5判並製 慶應義塾大学出版会 

 

AD/D

memo 生き物は腐食して段々黒に近い色に変わって、土に帰りまた命を生み出す。黒という色は生命の根源の象徴なのだと。ならば白は空なのかといったら、私達は否と思うのは何故かという問いがあって、そんな自分の疑問をのせてみました。

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本書のテーマ「腐敗と再生」もまた、身体、医、文化のあらゆる局面に見出され、しかもこの主題系もまた”連接・重層・逆転"をその性格と する。身体、医、文化という場面において、腐敗は再生へ(再生は腐敗へ)と変転し、腐敗は再生を(再生は腐敗を)包容し、腐敗と見えたものに再生の美が (再生と見えたものに腐敗の醜が)宿るのである。

(解説より)


ハイブラウ/ロウブラウ  アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現

 

四六判上製 慶應義塾大学出版会 

 

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memo 「ハイブロー」とは、昔「知的で高尚な」といったイメージで流行った言葉だけど、そういう気取りが見える人を揶揄するような感じも含まれていたように思います。カバー写真は20世紀初頭アメリカの古いシェイクスピア俳優の舞台写真。本書の内容にかさねて見ていたら、失礼ながら滑稽に思えて。アメリカは欧州に対する文化コンプレックスをバネにして、偉大な芸術様式を沢山生んだのに、今でもその多くは、芸術的価値を世界に認められていないように感じられるのは何故なんだろう。

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シェイクスピアは「高尚」なのか? 

シェイクスピア作品や オペラ、映画、美術館、交響曲は、19世紀のアメリカ社 会において、いかに受容されたのか。《文化》を流動的 な言説体系と定義し、価値の普遍という観念を根底から 覆す、アメリカ歴史学界の泰斗による名著。(帯より)


 転回    或る非同一化的思考の試み

 

四六判上製 慶應義塾大学出版会 

 

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memo 目次にオデュッセウスとセイレーンという言葉を見つけて、浜辺のイメージが産まれました。足跡のついた画像を発見。これは向かっているのか、戻っているのか。

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その眼差しを転回せよ。主体性神話の桎梏を打破し、他者性へ開かれた倫理の胎動を告げる、先駆的思索の軌跡。(帯より)

セザンヌ・ジュールダンの小屋──或るものと無との共演について   闇の中の光 =オデュッセウスの理性とセイレーンの感性──意味と感覚   二人で在ることのこのはかりしれない幸せ(Cette immense fortune d’_tre deux)   〈間-時間〉試論──〈互いに共に在ること〉の時間性と各時性について   他者として存在すること   付録:セザンヌ・ジュールダンの小屋(図版)(目次より)


 確率の出現

 

四六判上製 慶應義塾大学出版会 

 

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memo 著者がフーコーに傾倒していたことを知って、フーコーの「賢者と羊飼い」を思い出しました。昔のヨーロッパでは(現在も?)黒い羊は唾棄すべきものの象徴。黒い羊が突然変異で生まれることを、予測できないかといにしえの羊飼いは思っていただろうか?  

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該博で知られるイアン・ハッキングが、確率論史への新たな挑戦として問うた本書は、確率の歴史やその社会的影響に関する研究のブームへの 火付け役となった。本書では確率の出現をパスカル等確率論史で知られた幾人かの天才達の功績とするのではなく、フーコーの考古学のスタイルを用い、 1660年前後の10年間に、証拠などの関連概念の変化に伴って起こった歴史的必然として、医学などとの関わりの深いその前史から鮮やかに描き出す。(慶應義塾大学出版会HPより)


 <妻>の歴史

 

A5判上製 慶應義塾大学出版会 

 

AD/D/カバー図版=ファン・アイク作「‪アルノルフィーニ夫妻像‬」

memo 原著のカバー図版が品のないので別のもので。という話を聞いて直感的にこの絵のことを思いつきましたた。何の根拠もないのだけれど、どこかミステリーな感じを思い出したのだと思います。調べてみると、案の定謎だらけの作品で現在もその研究が続けられているということでした。訳者の方がこの作品が好きだったというのも良かった。

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〈妻〉は絶滅の危機に瀕した種か?〈妻〉という概念のルーツはどこにあるのか?〈妻〉たちに影響を及ぼす法律や慣習はいかに受け継がれてきたのか?どのような〈妻〉らしさのパターンが、今日的情景に編み込まれてきたのか?
どの糸が持ちこたえ、どの糸が切れてしまったのか?過去と現在の照らし合わせから、新しい〈妻〉のイメージを描き出す。(慶應義塾大学出版会HPより)


 シュターツカペレ・ドレスデン   奏でられる楽団史
 
A5判上製 慶應義塾大学出版会 

AD/D(本文フォーマット含)

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いぶし銀の響き――その音色の原泉をたどる
460年の歴史を誇るザクセンのオーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデン(ドレ スデン歌劇場管弦楽団)、劇場所有の豊富な資料と実際の演奏活動ををもとに、16世紀から21世紀までの壮大な楽団史を 楽曲形式でまとめあげる。ケンペ、スウィトナー、ザンデルリンク、シノーポリ…ヨーロッパ音楽界のそうそうたる面々が続々登場。クラシックファン待望の一 冊。(慶應義塾大学出版会HPより)


ファウストとホムンクルス   ゲーテと近代の悪魔的速度
 
四六判上製 慶應義塾大学出版会 

AD/D

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近代自然科学の発展にともない、神や神学支配からの解放が徐々に進んでいくなかで、ゲーテは自然科学の発展を評価し、自らも貢献したが、 一方で、彼は自然の悪用に対して強い危惧を抱いてもいた。本書では、ゲーテ畢生の大作 『ファウスト』 等、後期3作品を解読し、近代の 「悪魔的速度」 や、人間の理性に潜む野蛮さ、暴力性に鋭い眼差しを向けたゲーテの思想の真髄をあきらかにする。

(慶應義塾大学出版会HPより)

 



グーテンベルクからグーグルへ   文学テキストのデジタル化と編集文献学
 
A5判上製 慶應義塾大学出版会 

AD/D

編集担当者にぴったりの画像を探していただいた。「グー」 と「ル」が多い書名のレイアウトに苦心しました。

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文学研究は何に基づいて行われるのか。モノとしての本か、あるいは情報としてのテキストか。人文学の研究はそもそも何を資料としてきたのか。また、今後は何を資料としていくのか。デジタルの「本」の氾濫は、・・・・・
・・・文学、人文諸科学の制度のありようと直結する基盤の世界規模の変容を説き、人文科学の歴史と未来を見据えた本書の記述は 「デジタル化」 を考える際の必読書・基本書たりえる内容となっている。(慶應義塾大学出版会HPより)


フーコーの後で    統治性・セキュリティ・闘争
 
四六判並製 慶應義塾大学出版会 

AD/D

memo 誰もいない空間をイメージに使って。全体を覆う古びた布はほこり臭く汚れている。床は布が乱れ今まで誰かがいたように見える。何かサスペンスな空気感。フーコーが居たのか?と深読みしてくれたら・・・な。と。

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コレージュ・ド・フランス講義録を媒介に、1970年代後半のフーコーの問題系にフォーカス。この時期のフーコーの関心は、社会防衛、セキュリティ、統治論、自由主義論などにあり、それらは私たちの(たとえば現在の日本の)日々の問題の核心とつながっている。気鋭の論客たちが、理論、運動 - 政治、社会それぞれの側面から、フーコーを読み、使いまわし、今日の社会・世界に向かう新たな視座を提示する。(慶應義塾大学出版会HPより)


フーコーの闘争 ― 〈統治する主体〉の誕生
 
四六判上製 慶應義塾大学出版会 

AD/D/カバーPhoto

memo 「フーコーの後で」のムードで。ただし違うのは黒い空間にわずかに入る光は外光なのです。

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フーコーの権力論は1970年代半ば、『監視と処罰』と『知への意志』で頂点に達する。だが『狂気の歴史』に始まり、六八年五月を経て深 化した、ラディカルな思索は、運動の退潮に伴い、権力と抵抗の二元論として受容された。闘争や抵抗は、その事実ではなく可能性のみが語られるようになっ た。しかしこの時期・・・・

後期フーコーは「権力があるところに、抵抗がある」には留まらない。権力関係を成立させる〈自由〉に賭けるのだ。自由を用いる統治する主体は、「主観的な」真理によって、自己と他者の振る舞いを導き、他者から導かれる。(慶應義塾大学出版会HPより)


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